TERUO
「別世界」へ繋がる門であるTERUOを中心に、文書と映像、空間表現によって、鑑賞者をフィクションへと巻き込んでいくインスタレーションを制作した。
鑑賞者はTERUOを目にするよりも先に、自我園に関する報告書という文書を目にする。それは12ページの厚みを持つが、表紙の要旨を読むと、どうやら2mの巨大な人の頭があって、その口の中に入ると「自我園」という別世界に転送される上に、自分の身体の形や考え方などが変わってしまうらしいとわかる。文書を手にし、近くの部屋を覗いてみると、設定でイメージするよりややポップなビジュアルのTERUOが、目や口をビビットに光らせていることがわかる。すると傍に立つ案内人によって、鑑賞者はTERUOの口の中を潜り抜けるよう要請される。そうしてTERUOの口内にかかる工事用の足場(踏板)に乗り、腰かがめて進んでいくと、鑑賞者は の光に包まれると同時に、口から出る風に吹かれることとなる。やっとの思いでTERUOを抜け出し、顔を上げると、目の前を鮮やかな森の映像が包む。地面はオレンジに輝いて、足元は敷き詰められた白い砂利石で不安定だ。人影が見えてふと視線を移すと、そこには異様な姿を成す彫像が、一人佇む。そうして鑑賞者は、「ああ、ここが人の社会とは違う原理原則を持つ『自我園』なる世界であり、そこへ自分は踏み入れてしまったのだ」と、気づくこととなる。

日常から非日常へ足を踏み入れる体験を、没入感と同時に「作り物」と俯瞰しうる距離感で作り上げられたインスタレーションは、非日常への完全な没入体験をもたらすのではなく、「こんな世界はどう?」とフィクションを提示する機能を持つ例えばTERUOのテクスチャーとなっているのものは布であり、そのたわみや縫い目は隠されていない。自我園に関する報告書の中で、それが人間の頭が変形したものであると語られていても、実際に目の前にあるTERUOを、人の頭であるとは誰も思わない。しかしそれでも、その口の中を腰を曲げて潜り抜け、強い光と隠されたサーキュレーターの風を受けること、TERUOを抜け出して体を伸ばし、鮮やかな森の映像を目の前にすることで、様々な感覚刺激をもって作品世界を「体験」することとなるだろう。しかしその森の映像もまた、3DCG でモデリングされているものであることが、ポリゴンの形によって明かされるのだ。私は没入体験としてではなく、フィクションの顕在化としての作品を通じて、鑑賞者に、自らの身体や観念が作り物であることの自覚と、それ故の変容可能性に気付かせたい。TERUOや「自我園」はまさに作り物の世界であるかもしれないが、現実はどうだろうか、自分の身体はなぜこの形なのだろうか、なぜこのように使うのだろうか、そういう疑念を抱かなければ始まらない現実への認識がある。それは日常と非日常を地続きにするのでは叶わないものであり、それゆえ私はこのように作品を制作した。